とりあえず、3日間だけの《パパんちの子》になる事になった子供達。
( ↓ この記事の続編です。)
私は自分から子供達を送り出しておいて《これからもパパと暮らしたい!!》と言い出さないだろうか?と不安でたまりませんでした。けど《私を選んでくれるはず。》そんな自信もありました。でも、万が一子供達が父親と暮らしたい!!と言った場合、その気持ちを尊重してあげたいとも思っていました。
ただ、これについては私達だけではどうにも出来ない問題。元旦那本人にぎゅうちゃんが望んだら一緒に暮らす気持ちががあるのか?一度ハッキリと聞いてみることにしました。(パープーは女の子で、自分の意思がまだハッキリしていないので今回は聞きませんでした。)すると、
『兄妹離れるのは良くないと思う。それに今は無職だし。そんな事言える立場じゃないよ。ママがこの世からいなくいなってしまったら頑張って育てるけど、今の俺じゃ無理だと思う。』
とのこと。今は私の愛情を2人で取り合っている状態で、兄妹が一緒にいる事が必ずしもいい事と言えるのだろうか?そして仕事が見つかればぎゅうちゃんと一緒に暮らす気持ちがあるのかを再度聞いてみると、
『一緒に暮らす気持ちは無いかな。』
という返答でした。それでもお試しとしてお泊りは決行する事に決まりました。
色々と整理すると、
・子供達→パパに会いたい。パパといたい。
・パパ→子供達と一緒には暮らせない。ママがこの世からいなくなれば頑張れる。
・ママ→出来る限り子供達の意見を尊重したい。
つ、つまり私がいなくなれば子供達の希望が叶うという事なのでは?
なんてとちょっと考えて落ち込んでしまいました。
母に相談すると『ぎゅうちゃんはまだ5歳なんだし、たまに会って楽しいからパパって言ってるだけだよ。パパに子供は育てられないよ。』と言われましたが、なかなか立ち直れません。
今日は保育園から帰宅して家でご飯を食べてからパパが迎えに来たのですが、相変わらずのオレンジ髪にハットを被り、はじけていました。
子供達は私に《バイバイ》と振り向くこと無く、とっとと元旦那の車に乗り込み出掛けていいました。私はその様子を見て、さっさと家の中に戻って来てしまいました。
その晩、子供達から電話が来る事は無く、どうやら私がいなくても全然大丈夫な様です。普段からあまりよく眠れない私は、子供達がいなくなっていつにも増してよく眠ることができませんでした。
金曜日の夜~月曜日の夕方までの《パパんちの子》すでに私が寂しさを感じていました。
翌朝、8時頃に元旦那から電話がありました。その電話は、あまりに無責任でありえない内容でした。