自分が不甲斐ないです。
月曜日。ぎゅうちゃんの付き添いで学校までの道を歩いていると、途中でお友達に遭遇しました。ぎゅうちゃんは手を振りあって嬉しそう。そのままお友達と楽しそうに歩いて行ってしまいました。
お友達は近所のお兄さんお姉さんと一緒に歩いていたので、仲間に入れて貰えるか心配で、私はぎゅうちゃんの背中をしばらく見守っていました。
《大丈夫そうだな。》と帰ろうとした矢先、一人のお友達が転んで泣き出してしまいました。慌てて駆け寄ったのですが、どうしたらいいのか分からずオロオロするばかり。《学校の保健室に連れていくしかない!!》とは思いつつも泣き止まず焦っていると、すぐ後ろから同じ一年生の付き添いのママさんがやって来ました。声を掛けて状況を話しつつ相談すると…。なんとママさんが転んだお友達を優しく保健室に連れて行ってくれました。私はただ学校までついて行く事しか出来ませんでした。役立たずです。
ママさんにはよくお礼を言って別れたのですが、私は自分の不甲斐無さ。優柔不断な姿を情けなく思って泣きたいほどに落ち込んでしまいました。お友達にも申し訳なかったです。(助けてくれたママさんの名前が聞きたかったけど、聞ける雰囲気ではなく聞けませんでした。クラスしか分かりません。私は本当に役立たずです。)
夕方、ぎゅうちゃんを学童に迎えに行くと、転んでしまったお友達のママさんに遭遇しました。一応朝の出来事を伝えておいたのですが、私はたったそれだけのことなのに、手がブルブル震えて心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしてしまいました。ううぅ…。泣きたい。
子供達よごめん。
入学して一週間が経ち、ぎゅうちゃんに一人でも頑張って学校に行って欲しいと思っていた私。そんな気持ちとは裏腹にぎゅうちゃんは朝になると『一緒に行くお友達がいない。』と少し元気がありません。一人で登校している子は他にもいるし、途中まで私が送れば学校までの距離は5分ちょっとです。私が一緒にいることで子供にとってかえって話しかけにくい環境を作っていることも有り得るし、少し頑張って欲しいものの、
ぎゅうちゃんもまだまだ不安のようです。
そんな姿を見ていると私の選択は間違っていたんじゃないか?なんて思ってしまいます。こんな苦労をしなくても母親が全部先回りをしてやってくれる子も世の中にはいるのです。《私がママ友作りを頑張らなかったから子供たちが辛い思いをしているんだ…。》なんて思うと、自分の勇気の無さ、気弱、優柔不断さが憎らしく悲しくなってしまうのです。
何も出来ません。
今の会社が廃業したら介護か保育の仕事をしようと思っている私。どちらも人の命を預かる仕事です。今回のような事があった時に、素早く対応できなければ命にかかわります。私のような人に大切な命を預ける事が出来るでしょうか?私だったら出来ません。
それに、人付き合いが苦手でお年寄りはおろか子供とだってうまく話せない。私の場合、コミュ障と言うよりは勇気が無かったり気にしいだったりが原因なのかも知れないけど、《数は数えられない、計算は出来ない、人と話すのが苦手。》今後どうやって生きていけばいいのか?色々考えてしまうのです。
まとめ
この日は自分の不甲斐なさに落ち込んだと同時に、どうしたらもっと人とうまく話せるんだろう?優柔不断はどうしたら治るんだろう?もっと勇気を出すにはどうしたらいいんだろう?そんなことばかり考えていました。
そして助けてくれたママさんは何も出来ない私の事をどう思っていたんだろう?転んだお友達のママさんは不甲斐ない私をどう思ったんだろう?なんて考えては落ち込んでしまうのです。自分を変えたいです。最後まで読んで頂きありがとうございました!!